お金

働くことは投資の一種という話

こんにちは、Kです。

現在、私はフリーランス医として複数の職場で働いています。

医局に所属しながら勤務医として働いていた数年前に「もっと自由な働き方をしたい!」と感じて医師転職会社に登録したのが始まりで、2019年末に本格的に転職活動を開始しました。

2021年の春に医局人事を離れ、晴れて(?)フリーランスの医師となり、現在に至ります。

そんな中、転職活動を始めてから、今に至るまで、ずっと頭の中にあった疑問があります。

「”働く”って何だろう」ということです。

働くとは何か。

色んな人が色んな意見を持っていますね。

その色んな人の考えを見聞きした上で、自分で考えてみた結果、今の時点で1番しっくりきている考え方があります。

それは「働くことは投資の一種」なんじゃないか、という考えです。

ここでは仮に”労働投資”と名づけてみます。

労働投資とはどういうことなのか。

今回はこの考え方について、自分なりにちょっと説明してみたいと思います。

お付き合いいただけると嬉しいです。

●労働投資ってどういうこと?

投資というのは、「資本」を、「何か」に投入して、「利益」を得ようとする試みですね。

一般的に使われる投資という言葉の場合、

・投下する「資本」は、お金

・対象の「何か」は、事業や証券や不動産など

・得られる「利益」は、お金

がそれぞれ該当するでしょう。

 

では、今回の労働投資の場合はどうなのかというと、

・投下する「資本」は、自分

・対象の「何か」は、勤める職場、もしくはその業界全体

ということになります。

働くということは、自分という資本を、労働市場に投入して、利益を得る行為なんです。

では、その結果、得られる「利益」とは何か。

ここに関しては後で述べますが、これが働くという投資に関する議論を難しくしている要因の一つだと思います。

労働投資の資本は自分

先に述べたように我々は、自分を市場で運用して利益を得ています。

大きな資本、すなわち、優れた能力を備えて市場に出れば、その分、大きな利益を上げることができるでしょう。

しかし、運用方法がまずければ、いかに優れた人材でも、見返りは少なくなってしまいます。

では、勉強や資格取得などの自己投資というのは何なのかというと、自分という資本価値を高めるための行為と考えることができます。

大きな資本を市場に投入すれば、その分、大きなリターンを得られる可能性が高まります。なので、自己投資に励む人というのはたくさんいます。

ただ、この自己投資というのも“投資”の一種ですので、やり方によっては、自分という資本価値が上がったり上がらなかったりしますね。そこが難しいところです。

例えば、どんなに外国語のスキルが高くても、使う機会がない仕事をしていれば報酬に及ぼす影響はゼロです。

すごく苦労して資格を取得したけれども、特に仕事や報酬に影響がなかったなんて例はいとまが無いでしょう。

自分自身という、我々にとって最も重要な資本の価値を高めるために、最適な方法を選び出す必要があります。

そして、自己投資によって大きくした自己資本で、市場から利益を得るのが「労働投資」なのです。

労働投資の投資対象は職場や業界そのもの

労働は投資である、そう考えると、投資先である職場・業界も十分に吟味する必要があります

成長が期待できない投資先には、どんなに大きい資本を投入したとしても、得られるリターンはたかが知れています。

リスキーな投資先を選んだ場合、損をすることもあるでしょう。いわゆるブラック企業につかまってしまうと、時間や体力が奪われた結果、心身の健康を損なったり、場合によってはお金を失ってしまうこともあり得ます。

特定の職場だけではなく、業界全体にも目を向ける必要があります。

どんなに素晴らしい「船(職場)」に投資しても、その船が運航している「海(業界)」が大荒れ状態なのであれば、将来は明るくないでしょう。

逆に、順調に成長が見込める投資先に投資すれば、たとえ資本が小さくても、比較的楽に大きなリターンを得ることができるでしょう。

乗った船がイマイチの出来でも、海の状態が良好でさえあれば航海も順調に進むはずです。少なくとも一定期間は。

自分という大切な資本を預ける場所ですから、乗る船や、航海する海は、慎重に選ぶ必要があります。

労働投資で得られる利益は?

では、労働投資で得られる利益とはなんなのでしょうか。

それは「色々」です。

「なんじゃそりゃ」と思われた方、すいません。私の考えを少し説明してみようと思います。

働くことで得られるもので代表的なものは何と言っても「お金」でしょう。

我々は働くことでお金をもらって、それで日々の生活を賄っています。

ただ、働くことで得られる報酬がお金だけだとしたら、とにかく高報酬の案件だけに応募が殺到するはずですが、必ずしもそうではありません。

高報酬なだけの案件に食いつかない人が、何を大事にしているかというと、それは、仕事をすることで得られる「充実感」だったり「名誉」だったりします。

また、大した「お金」にもならないし、「充実感」も「名誉」も感じられない仕事を自ら積極的に選ぶ人もいます。そういう人が、求めているものは「経験」でしょう。

その仕事を通して得られた「経験」が自分という資本価値を高めることにつながる場合があるからです。それは、仕事を通して得た知識かもしれませんし、技術かもしれません。

このように労働投資によって得られる利益はさまざまです。単一の利益だけしか得られないものもあれば、あらゆる利益を総取りできる仕事もあるでしょう。

また、同じ仕事でも、行う人によって、得られる利益の種類が異なる場合もあります。一つの職場で「お金のためだけに働いている」という人もいれば、「充実感と経験のために仕事している」という人もいます。

得られる利益が複数である上に、人によってそれが異なる。

これが、我々が仕事について語るとき、さまざまな考え方が入り乱れて、ときに大論争に発展してしまう要因の一つなんじゃないかと、私は感じています。

いかがでしょうか。

細かいところを書いていくと長くなりすぎるので、この記事では概要だけにとどめますが、「働くことは投資の一種である」と考えると色々とスッキリと説明がつく部分が多いのではないかと感じています。

また、この考えを採用するのであれば、我々が労働に対して取るべき戦略もシンプルになってきます。

それは、投入する資本を大きくして、かつ、成長が期待できる市場に投入すること。

また、そのやり方も、「長期・分散・積立」こそが、最も合理的な方法になってくるでしょう。

だいぶ長くなってきたため、この辺りのことは、そのうちまた次の機会にまとめてみたいと思います。

これを読んでくださった皆さんの「”働く”って何だろう」に対するお答えも、Twitterなどで教えてもらえると考え方が広がってとても嬉しいです。よろしくお願いします。

長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございます!

以上、働くことは投資の一種という話でした。