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映画「ソーシャル・ネットワーク」と人は感情で動く生き物だという話

こんにちは、Kです。

先日、映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました。

日本では2011年公開の映画で、Facebookの設立とそれに伴う訴訟についての作品です。

例によって、以前に視聴済みだったのですが、あらためて観ると忘れている部分も多く、楽しめました。

創業者のマーク・ザッカーバーグの天才的な頭脳と実行力、加速度的な成長を遂げるFacebookと周囲の人々の思惑とすれ違いが、気持ち良いスピード感で描かれていきます。

以下、ネタバレも含みますので、未視聴の方はご注意ください。

お話は、マーク・ザッカーバーグが女子学生の顔を比べて勝ち抜き投票させる「フェイスマッシュ」というゲームを考案し、ものの数時間で完成させる、というエピソードから始まります。

その行動の是非はともかくとして、思い描いたアイディアを、実際に形として世に生み出せる能力はやはり強いな、と感じます。彼の場合は、特に図抜けているのでしょうけれど。橘玲さん的に言うところの「クリエイター」集団のトップ中のトップですしね。

ただ、この映画を観ていて個人的に最も印象的だったのは、結局のところ、いつの時代も、人が争う理由は「自分が蔑ろにされた」という感情なのだな、ということです。

マークは、Facebookにつながるアイディアを盗用されたとするウィンクルボス兄弟と、創業者の一人ながらも持株比率を希薄化され社を追われたかつてのマークの親友エドゥアルドから、それぞれ訴訟を起こされています。

もちろん訴訟の裏には、Facebookの成長に伴う多大な利権が背景にあることは確かです。しかし、ハーバード大学のエリート上級生であり、マークのことを「使える」オタクとして格下にみなしていたウィンクルボス兄弟と、マークの唯一の親友でありFacebookの創業者の一人としてのプライドを持っていたエドゥアルドを強く突き動かしたのは、「自分たちを軽んじたマークに復讐したい」という怒りの感情がまず先にあったのではないかと思います。

人は感情で動く生き物です。

自分にだけ重要な話が伝えられていない、挨拶をされていない、丁重に扱われていない、など、もちろんそれらは社会生活をしていく上では大事なことなのですが、第三者としてはときに些細にも感じられることが、後に大きな事件につながることもある昨今です。

医療現場でもこうしたトラブルはよくありますし、恥ずかしながら私自身も若い頃に苦い経験があります。

もちろん、誰にでも媚びへつらいながら生きるのが正解だとは思いませんが、やはり社会の中で多くの人との関わり合いの中で暮らす我々としては、一人一人にちゃんと敬意を払いながら生活していくことが重要なんじゃないか、とあらためて感じました。

マーク・ザッカーバーグ達のような世界最高峰の頭脳を持った人々ですら、そうしたことで苦労しているのだと思うと、安心するような、恐ろしいような…。

以上、映画「ソーシャル・ネットワーク」と人は感情で動く生き物だという話でした。