こんにちは、Kです。
時給思考という考え方をご存知でしょうか。
何かモノやサービスを買うときに「これは自分の時給に換算すると何時間分」もしくは「この時間は自分の時給で何円分」と換算して考えてみる、という思考法です。
この時給思考、判断基準として大変有用なのですが、一方で、多くの人、特に私のような医師が安易に傾倒するのは危険なんじゃないか…と考えています。
今日はそう考える3つの理由をまとめてみました。
①大抵の人は職場を離れた瞬間に「タダの人」だから
②将来の自分を担保に借金しているようなものだから
③自由な時間を楽しめなくなる可能性があるから
一つ一つ解説していきます。
①大抵の人は職場を離れた瞬間に「タダの人」だから
よくテレビの番組などで企業の社長さんやタレントさんが、普通なら電車やバス、新幹線で移動する距離で迷わずタクシーに乗り込み、「僕の時給で考えてみたらこの方がコスパが良いので」とカメラに語る姿、カッコいいですよね。
もしくは、少し値がはるお買い物をするときに「時給を考えると迷ってる時間が惜しい」と言って、即決する姿にも憧れます。
ただ、あれに影響を受けた医師が日常生活でも同じことを始めると大抵詰みます。
なぜなら、多くの医師は職場を離れている間は報酬が発生しない、タダの人だからです。
企業の社長さんは空いた時間で多額のお金が動くような決断をしたり、斬新なプロジェクトの発案に充てたりできますし、タレントさんの場合は僅かな時間でインタビューを受けたり、SNSでプロモーションを行ったりすることができます。
ついでに、社長さんの場合は仕事上の移動費は経費で落とせる場合がほとんどです。
一方で、一般的な医師が休日にタクシー移動や高額商品の即決購入でたかだか数分を節約したところで、生み出せる富はごく僅かです。我々は少々いいお時給をいただいているだけのサラリーマンに過ぎません。
たとえ労働時間あたりの報酬が高額だとしてもあくまでそれは労働中の話、ということを忘れて無闇にお金を使うべきではありません。
②将来の自分を担保に借金しているようなものだから
とはいえ、時給は高額なお医者さん。たとえば、非常勤バイトなどの場合、時給1万円程度が相場となります。
数千円の買い物であれば、「○○分の労働で取り返せるから…」と考えてしまいがちです。
ただ、それは、未来の自分の時間をモノと交換しているようなものです。また、高時給ゆえに、わずか(と買う際は感じられる)な時間で換算できるモノの金額も高額になります。
人は慣れる生き物ですから、それを繰り返していくうちに金額はどんどん大きくなり、未来の自分が”実質ただ働き”する時間もどんどん伸びていきます。
高時給で、「自分の時間には価値がある」と考えている人ほど、自分が払うお金=時間には敏感になる必要があります。
③自由な時間を楽しめなくなる可能性があるから
たとえば、家族で出かけていたり、恋人とデートをしていたり、友人と遊びに行ったとき、それを台無しにする方法があります。電車が遅れたりして時間のロスが生じた際に「この時間は私の時給だと〇〇円の損失だよ」と怒ればいいのです。一瞬で空気が変わることと思います。
時間=お金という考え方を突き詰めすぎると、こういうことになります。わずかな時間の損失に耐え切れなくなり、どんどん器の小さい人間へと変貌していってしまう恐れがあるのです。
「時給」という考え方に囚われすぎず、大切な人と過ごす時間や、自分だけのリラックス時間に関しては、多少の無駄も受け入れた方が、質の高い過ごし方ができるのではないかと思います。
以上が、私が時給思考に偏りすぎることを危険だと考える理由3つです。
もちろん、自分の時間を安く見積りすぎるべきではありませんし、どうしても必要or欲しいものがあったときに手助けしてくれるのが時給思考でもあります。
また、逆に高価なモノを買うか迷ったときに「自分の労働〇日分か…」と考えることで、分不相応な買い物を避けることにも役立つはずです。
要は何事もバランスが大事という結論になってはしまいますが、この記事が自分にとって程よい時給思考との付き合い方を考えていただくきっかけになれば嬉しいです。
以上、医師にとって時給思考が危険になりうる3つの理由の話でした。