仕事

渋沢栄一とフリーランスの話

こんにちは、Kです。

先日、日本橋兜町を歩いていたら、みずほ銀行がありました。

「いや、みずほ銀行なんてどこでもあるでしょ」と思われるかもしれませんが、この日本橋兜町というのは少し特別な場所で、日本最初の近代的銀行である第一国立銀行の発祥の地なんですね。

第一国立銀行というのが、現在のみずほ銀行です。

その第一国立銀行を建てたのが、2024年に新1万円札の顔となる、渋沢栄一なんですね。

現在、放映中の大河ドラマ「青天を衝け」の主役です。私は未視聴ですが。

渋沢栄一は、生涯に500もの会社設立に関わり、「日本の資本主義の父」と呼ばれる人で、医者の世界でも東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加病院などの有名どころの設立に関わっているそうです。

この渋沢栄一の人生というのが激動で面白いのです。

もともとは農家の出身なのですが、尊皇攘夷の思想に傾倒して倒幕を志すも断念し、その後、縁あってなんと徳川慶喜、つまり徳川15代将軍に仕えることになります。その仕事の一環として赴いたパリ万博で、かつて日本から排斥しようとしていた西欧文化に大きく影響を受けます。

大政奉還によって民間人となるも、後に新政府からスカウトされて大蔵省で官僚として働くことになる…という全く異なるポジションを転々とした人なんですね。

その後、官僚をやめて、様々な会社の設立に関わることになります。

私も今年、大きな組織を離れてフリーランスとなり生活が大きく変わったのですが、渋沢栄一の足元にも及びません。

渋沢栄一の数々の成功は、本人の類まれな才能によるところが大きいと思いますが、やはりこの柔軟性というのも大きな要因だったんじゃないでしょうか。

「自分の生きる場所はここしかない」と決めて一つの場所に身をうずめる覚悟で、まさしく一所懸命に働くことも格好良い生き方ですが、必ずしもそれが正解とは限りません。

なぜかというと、世間に求められるものや、何かを達成するための最良の方法は日々刻々と変化するものだからです。一つのことに固執して手離さないことは、新たなものを掴むチャンスを放棄しているとも言えます。

ときに日和見主義とも揶揄される渋沢の柔軟さこそが、時代の流れに完璧に乗ることを可能にしたのではないかと思います。

ある意味、渋沢栄一は当時にして歴代最強のフリーランスだった…とも言えるかもしれません。言えませんかね。

今、令和の時代にフリーランスという立場にある自分も、引き続き変化を恐れず、時代の流れに柔軟でありたい…と感じました。

ちなみになぜ兜町にいたかというと、近くに行きたかったビアバーがあったのです。

いいお店だったので、渋沢栄一の話が刺さらなかった方にもおススメです。

以上、渋沢栄一とフリーランスの話でした。